ぼくの考える多摩サイの常識と、現実のズレ。
昨日のサイクリングの帰り。羽村から多摩サイに入るかどうかちょっと悩んだ。
悩んだ理由は3つ。まず羽村辺りには小砂利の道があり、後の掃除がちょっと面倒くさい^^。もうひとつは国立あたりのウネウネ道。なんか走っていて萎えるんだよな。
そして3つめ。走っている自転車のマナーの問題。
「マナー」ってのは人それぞれ感じ方の違いがあるもんだとは思う。ただ、自分が「常識」と思ってることが裏切られると、結構なストレスがたまる。
たとえば。
前方(対向車)の見えないカーブやトンネルでの追い越しはすべきじゃない。これ、ぼくは常識だと思ってる。しかしこれ、多くの人にとっては常識じゃないらしい。ぼくの自転車の倍だか3倍だかしそうな自転車に乗った人が平気でトンネルで追い越しをかけてくる。しかも反対車線にはみ出して追い越しをかける。
もちろん当方、若くはないわけで抜かれて悔しいなんて気持ちは全くない。だけど自転車を楽しみ続けたいとは思っていて、そういうところで自分の「常識」を踏みにじられると、かなりイライラしてしまう。現実的にも危険だし。
あと、多摩サイには歩行者やら低速度自転車やらが混在してる。そんなとき、自分の進路がふさがれることはしょっちゅうある。こういうとき、もちろんタイミングを見て追い抜くわけだけど、そのタイミングが問題。
個人的には対向車線に歩行者、ジョガー、自転車がいれば、しばし待つべきだと思ってる。どの程度の距離にいれば待つのかというのはやや「マナー」の問題かもしれないけれど、待つこと自体は「常識」と思ってる。
だけどこういうところでも自分の感覚が完全に裏切られる。歩行者・スロー自転車・普通の自転車と連なっている列を、前方に何があろうが関係なく追い越していく人がいる。対向車線側からも「おまえが端によれ」と傍若無人にはみ出し走行してくる人がいる。何らかの事情でこちらが左端に寄るのが遅れると睨んでいく人がいる。
なんかさあ。こういう人たちを人として認識できないよ。で、ヒトデナシなんだから、要するになんかわけのわかんない生物が走り回ってるってこと。そういうところにいると、ストレスが増すんだよね。
昨日は結局、一宮あたりで一般道が混雑し始めたので多摩サイに入った。すると直ちに上に書いたようなヒトデナシたちの猛攻を受けてしまった。連れはタイミングを計るのが苦手(ちょっと馬鹿なんでしょうがない)なので、どんどんぼくとの距離があいてしまった。
こっちの持っている「常識」がズレているところもあるんだろうけど、もうちょっと「気持ち」が共有できないもんかな。
走り抜ける人は「俺は俺なりに安全確認してる」ってことなんだろうけど、他人に減速を強いたり、コース変更を強いるってのは「迷惑をかけている」ってことなんじゃないのかなあ。
公共の場所で「俺は俺なりに」と言えるためには、他人に一切迷惑をかけないことが前提なんじゃないかと思うんだよなあ。