日経「春秋」に登場した、関東自転車乗りに有名な場所


日曜日の日経新聞「春秋」欄に「高麗川」が登場してた。この「高麗川」、実は東京近辺の自転車乗りには結構有名な場所だと思う。「刈場坂峠」に登る途中に源流があるから。

実はぼくたちが最初に登った峠もここで、左の写真はこの日二度目に連れの彼女がへばってしまっているところ。二度目に彼女がここに登ったときは、休憩無しに無事登り切ったので、結局彼女はこの「高麗川源流保全之碑」を目にしていないわけだな(笑)。

輪行正丸駅からアプローチするなら途中に「高麗駅」という駅もある。車窓から眺めると、いきなりチャンスンが建っていて驚く。

尚、この日経の「春秋」。高麗川流域の巾着田という地域の話を枕に、「新しい風はもっぱら西方から吹くものだった」と記し、そして西方からやって来る「いま発射台に載せられている『物体』」(記事は日曜日のものだから、まだ打ち上げられていない)の話に繋げる。

こういう文章を読むと最低な気分になる。あまりにあからさまな文章展開でひねりがない。おまけに「新しい風はもっぱら西方から吹くものだった」なんていうのもステレオタイプに過ぎる。すべてが西方からやってくるのは日本が極東なんだから当たり前の話じゃん。ひねりもなにもなくこういう定型を書くのに呆然とする。

また、「枕」の部分にもひっかかる。

今の時期、花見といえば桜というのが大方の思いだろうが、名の花畑の可憐な黄も捨てがたい。この週末、両方を同時に楽しめるのが埼玉県日高市巾着田という場所だ。

あのさ。うちのくまも、昨日桜と菜の花を同時に楽しんできたぜ。
flower and a bear

西からやってくる「発射台に載せられている『物体』」に言及したいから巾着田を使ったんだろうけど、まず「そういう場所は一般的に存在する」ことでだめな例示だし、また「どうしても西方からやってくるものに結びつけたい」という意図がスケスケ過ぎる点でもダメダメ。

話が繋がっているように見えるだけで、単なる並列に終わってしまってる好例。せっかく自転車乗りに親しい場所からの話だったのになあ。よけいに読後感が不快だった。


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