自転車乗りは「観光」をするか?
利根川近辺の風景。
人によって当然違うわけだが、自分自身、こういう利根川の風景や R4 バイパス側道の花々(この時期、主には菜の花と水仙だった。あ、それから群棲タンポポも素晴らしかった)を見られただけで満足だった。こういうものを見られただけで、「わざわざ宇都宮まで餃子を食いに行ったかいがあった」。
ただしそういえば。
昨日、宇都宮に同行した彼女は、深大寺に行って神代植物園を見てこなかったことに憤慨していたっけ。まあ、こっちの思いを言わせてもらえば「発想が違う」のだ。
こちとら自転車に乗ればそれで幸せ。自転車に乗って、オマケに深大寺で蕎麦が食えるならそれで良いじゃないか。昨日の宇都宮だってそうだ。自転車に乗ることがすなわち幸せで、それに 200km 走破というオマケがついてくる。さらには「有名どころの餃子」というのまでついてくるじゃないか。何を不満に思うことがあろうか(いやない)。
しかし、だ。
餃子屋の前で偶然出会った自転車乗りたちは「観光はしたのか」と問う。連れの彼女はこの自転車乗りの「観光」の言葉に悩んでしまった。彼女は確かに深大寺に行って蕎麦だけ食って帰ることに不満を感じたはずだった。しかし昨日は 200km 走ったことに盛り上がってしまい、なんの不満も感じなかった。
「私、このままじゃ変になる」。
それが彼女の思いであるらしい。「やっぱり観光もしなくちゃいけないんじゃない?」。
まあな。観光は、すれば楽しいだろうと思うよ。俺だっていろんなことに興味はあるわけで、観光が嫌いなわけじゃない。たださ。最初の目的が「あわよくば 200km」じゃない? それで往復の経路を考えるよな。んで、もし体力が続かないときの対策なんかを考える。それで俺は時間切れなんだよ。
ま、ようするに、だ。
宇都宮って、餃子以外に何があるのか、いまもって全く知識がないんだよな(笑)。
まあただし。彼女の言い分もわかる。目的地で何か面白いことがしたい。それについては俺も同様に感じる。ってなわけで、来週の日曜日はおとなしく、大宮あたりにあるらしい「鉄道博物館」にでも行ってみるか。日経新聞で読んだところによれば「時刻表展」みたいのやってるらしいんだよな。鉄ちゃんじゃないけど面白そうじゃん。
これで彼女も大満足間違いない…
P.S. この記事を読んだ彼女。「大宮か、何キロ?」と問うてきた。「電車の時刻表なんか見て何が楽しいのよっ?!」ではなく「何キロ?」だ。これはぼくの教育が幸いしたと言わざるを得まい。